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夏見廃寺跡訪問記

夏見廃寺跡の概要

現地にあった「建物想定図」と「平面図」。斜めに撮った物をレタッチソフトで無理やり長方形に修正しましたが、余り上手くいかなくて歪んでいます。ただし平面図で塀の北西の角が直角でないのは、図の歪みではなく実際にそうなっているものです。(おそらく地形の関係で南側を内側に寄せざるを得なかったのでしょう。)

建物想定図は北東(平面図の右上)側から見た物です。 伽藍のあった場所は南向きの斜面で、現在北側は陸上競技場、南側は田畑と住宅地です。

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展示館

展示室は3つあります。入り口入って左側の部屋がパネル展示とビデオ上映です。ビデオは「壬申の乱」の際、美濃を目指す大海人皇子軍が名張を通過したときの状況を日本書紀の記述に従って再現したアニメをやっていました。クレジットは表示されませんでしたが、どうやら里中満智子作「天上の虹」のキャラクターのようです。右側の部屋には出土した塼仏(セン仏=仏像を浮き彫りにしたタイル。「セン」は「摶」の字の左側の「手偏」を「土偏」にしたもので、レンガの様な素焼きの物の意。)が展示されています。そして奥の展示室は金堂の一部を復元したものです。中にはいることは出来ませんが、建物の鮮やかな赤と開かれた扉から見える金色のセン仏がまぶしい。展示館内は撮影禁止のため、画像は名張市の公式サイトおよび伊賀地区広域市町村圏事務組合のサイトでご覧ください。リンクは本記事のトップページにあります。

余談:
資料室に「発掘出土情報」(正確な名称失念)など専門資料と並んでコミック「天上の虹」1〜16巻がおかれていました。やはり本館の展示企画に里中さんが関与していたということでしょうか?

廃寺伽藍跡

伽藍跡には説明施設として次の様な物が作られています。実際の伽藍跡の様子は別ページに画像入りで紹介してあります。

伽藍配置図、復原想像図、(上記写真のもの)などの説明板類は、視界を遮ることがない様に大型タイルに描画されたものを花崗岩の枠にはめ、地面に埋め込まれています。

感想等

前から行ってみたいと思っていた夏見廃寺跡を尋ねたのは2003年11月22日(土)でした。ちょっと不便なところでしたが、行ってみた甲斐はありました。展示館の展示内容は大伯皇女と昌福寺についてわかりやすくまとめられており、復原金堂の鮮やかさはとても感動的でした。また伽藍跡の説明板はとても判りやすく、しかも視界の邪魔にならない様、低く配置されているなどとても好感が持てました。暑からず寒からず良い季節の土曜日なのに訪れる人がまばらなのはちょっと残念でした。これでは受付の人の人件費どころか、光熱料すら賄えないのではないかと心配になってしまいます。(名張市、相当財政厳しいらしいです。)

訪問する場合は正確な場所と交通の便は事前にきちんと調べておきましょう。(苦笑)地図をコピーしていくのを忘れたので、名張駅前の交番で道を尋ねました。2人いるお巡りさんのうち若い方の人は「夏見廃寺」というものを知らない様でした。年配のお巡りさんが「市立体育館の近く」と壁に貼った地図で示して教えてくれましたが、その後で同僚にむかって「珍しいなぁ」と言っていました。バスは東口から約10分間隔で出ていますので利用すると歩く距離は半分くらいで済みます。


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